ほら Moving on...!!

大ちゃん、JUMPに溺れる日々。

ジャニーズとの出会い。そしてJUMPとの出会い。~JUMPとの出会い編~

一年前。私は、Mステのスペシャルを見ていた。

いつもなら、嵐しか見ない。けれど、その日は違った。ずっと見てた。

 

そして出てきたHey! Say! JUMP。「大きくなったね~」とタモリさん。確かに。 JUMPのことはまだよくわからなかったが、全く知らないわけではなかった。これも、アメリカのお友達家族の影響。

JUMPがデビューしたのは、2007年。私はちょうどアメリカにいた。あまりよく覚えてないけど、その子の家で、デビューしたての彼らがある音楽番組に出演してるのを見た。そしてその時に初めて、メンバー全員が平成生まれであると知った。私は衝撃を受けた。私も平成生まれで、JUMPよりは数年後に生まれているのだが、「平成」という言葉自体新しく、みんなまだ私とそう歳が離れていない。平成生まれはみんなまだ子ども、という考えが私の中ではあった。そんな同じ平成生まれの彼らが、もうデビューしている。テレビにでて、歌って踊っている。この子たちはこんなに頑張っているんだ、そして努力したからもうこんなに有名になれてる。私はそう思い、私も夢に向かって頑張らなくちゃ、と焦った記憶だけはあった。(当時私はオリンピック選手になりたかった。無茶な話だな、と今になって思う。笑)

そんなまだ「子ども」だったJUMPが、もう大人になっている。昔と印象が全く違い、いつの間にか、私の知らないJUMPになっていた。

そう思いながら見続けていると、ウィークエンダーが流れ、彼らは歌い、踊りだした。歌は当時まだ知らなかったが、あの途中の“カクカクダンス”は、特にかっこいいな、と思った。

だが、そんなにゆっくり見ている暇はなかった。なぜなら、私はメンバーを見分けるのに必死だったから。その頃、数人だけ知っていた。山田くんと知念くんはアメリカ時代から知っていたし、裕翔くんは半沢直樹や弱くても勝てますで知っていた。高木くんも水球ヤンキーズのおかげで認識はあった。「あ、あれ高木くんじゃない?」「そこにいるの裕翔くんだよ!」そうお母さんと喋って必死にテレビを見ていると、あっという間に彼らの出番が終わってしまった。

 

しばらくして、CDTVの年越しライブがあった。たまたまそれを見ていると、JUMPがNEWSと一緒に紹介されていた。「あ、JUMPだ!」そう思いながら、かるーい気持ちで見ていた。曲はカモナぐらいしかわからなかったが、わちゃわちゃしてるな、楽しそうだな…そんな印象を受けた。

その日はそのまま終わったが、どうやら私はもうジャニーズの沼に足を踏み入れてしまっていたのだった。そのことに気が付いたのは、惜しくも数週間後だったけれども。

 

ある日、勉強をする気がなく、ネットで色々と調べていた。はじめは、KAT-TUNとJUMP両方について調べていた。すると出てきたのが、JUMPの仲良しエピソード。ジャニーズに多い、いちゃいちゃがもともと大好物な私は、それに読み入った。JUMPってこんなに仲がいいのか!嵐よりもいちゃいちゃしてるじゃん!そう思った私は、知らない間にJUMPのとりこになっていた。エピソードや基本情報的なものなどを読み終えると、動画のほうにはしっていった。そこで魅了された曲がRide With Meだった。なにあのダンスのかっこよさ…!!!あれを見た後も、しばらく興奮していた。そして何回も見た。好きすぎて、自分が踊るダンスの振り付けにも少しアレンジしたものを入れてしまったぐらいだ。もうその頃には、元の生活には戻れなくなっていた。少クラをたくさん見て、JUMPのほとんどの曲を覚えた。そこからさらに昔に戻って、Ya-Ya-YahJ.J.Expressの曲も少しは覚えた。ベイジャンも聞いた。そこで、有岡くんが編曲をしたというのを聞いて、Timeを聞き、それが一番好きな曲になった。勿論それはRELOADという素晴らしい曲を聞く前だったけど。そして、いままで定期購読していたがそこまで興味もなく、ただたまっていたドル誌も、ちゃんと読み返した。

いつの間にか、JUMPが大好きになっていた。もっとJUMPについて知りたかった。しかし、私がいるのはインド。CDを借りに行こうと思っても、そう簡単には行けない。そんなことを思っていると、Chau#が発売されることを知った。買いたくて買いたくてしょうがなかった。しかし、ずっと好きだった嵐でさえシングルを一枚しか買ったことがなく、JUMPなんて、まだアルバムも買ったことがない。なかなかシングルを買おう、という決断ができず、気づかないうちに初回限定盤はもう完売していた。落ち込んだ。後悔もした。ただ、ラッキーなことに、すぐにアルバム発売が発表された。即座に買った。そして、夏休みを待った。そう、日本に帰れるから。

 

そしてやっと来た夏休み、そして一時帰国。祖母の家に着いた瞬間、JUMPing CARのアルバムをパソコンに入れ、携帯に入れ、聞きまくった。素晴らしい曲ばっかりだった。そして、半年前から、行きたい!と思っていたレンタルショップに行き、今までのアルバムすべてと、シングルも何枚か借りに行った。そして、毎日JUMPの曲を聞くようになった。今でも勿論聞いている。 

これはもう充実した夏休みだった。ジャニオタの友達はもともといたので、その子たちに「私はJUMPが好きなんだ!」と言い知ってもらい(勿論びっくりされた)、一緒に初めてジャニオタに行った。雑誌も、欲しいものを全部買い、自分の買う文房具なども、自担の色のを買うようになっていた。JUMPや他のジャニーズについても、友達と語りつくした。楽しかった。忘れられない夏休みとなった。

 

インドに帰ってからも、JUMPの好き度は変わってないし、むしろ伸びる一方だ。これは最近JUMPが勢いづいてる!というのもあるのかもしれない。キミアトのCDを買い、雑誌を1冊から2,3冊買うようになり、カレンダーもDVDも予約した。勿論リトラやいたジャンも毎週見ている。最近は、JUMPにしかお金をかけてない!という感じだ(ものすごい金額だが)。

 

こんなにJUMPという中毒性の高い危険な沼に入り込んでもう抜け出せなくなっている私だが、嵐には全く興味がなくなった訳ではない。未だにアルバムも買っている。それに、嵐×JUMPという最強の組み合わせが好きだ。

掛け持ちをしだし、ジャニーズにお金も時間も費やすようになってしまった。大変なことだ。しかし、後悔はしていない。というより、感謝しかない。嵐やJUMPに出会えなかったら、私の人生どれほどつまんないものだったのか。笑

 

ありがとう。そしてこれからも、応援していくよ。